NFL超入門!~群雄割拠の32国志演義~

サッカーよりも野球よりもアメフトが一番面白い!アメリカで最強の人気を誇るアメリカン・フットボールNFL。人間を超越したNFLにまつわる人々を熱く紹介していきます

NFL問題児編 闘犬賭博の嫌われ野郎マイケル・ヴィック

闘犬問題で全米から爪弾き QBマイケル・ヴィック

 2001年からドラフト全体1位指名でファルコンズに入団。以来エースQBとして長年ファルコンズを兼任してきたマイケル・ヴィック。そんな彼が在籍7年目となる2007年の4月に闘犬賭博事件にて、禁錮23ヶ月の実刑判決を受けました。これが全米でものすごい批判を浴び、マイケル・ヴィックという選手は現在も全米から猛烈に嫌われています。

 

 

事件の発覚、マイケル・ヴィックの関与が判明

 まず事の発端は、彼の従兄弟がマリファナの密売容疑で逮捕されたことから始まりました。警察は当然、その従兄弟の自宅を家宅捜索したところ、とんでもない数の傷ついた犬達がいたそうです。どうも闘犬賭博をするために、飼われていたそうです。

 詳しく調べた所、マイケル・ヴィックが主催者で、自宅の裏庭でドッグファイトをさせ、賭博の盆を開いていたことが判明。電気ショックをあたえたり、銃で撃って殺害したり、首を吊って殺したり、と酷すぎる動物虐待の実態が判明しました。

 

 

 

アメリカ人の動物愛護意識は高い

 アメリカ人は特に動物愛護の意識が強く、全米50州どこにいっても動物虐待は重犯罪として指定されています。およそたくさんの家庭で犬や猫といったペットが飼われていて、家族同様に可愛がられています。そんなアメリカで起こったこの出来事。マイケル・ヴィックは強烈に全米から非難を浴びるわけです。

 

 

マイケル・ヴィックの有罪が確定

 当初、ヴィックは容疑を否認していましたが、仲間の証言もあり、最終的に司法取引に応じて容疑を認め、闘犬賭博への関与を認めました。(このあたり、真相は不明です。ヴィックの当初証言によると、「家を親戚に貸していただけで、自分は何もしていない。」と言っていましたが、司法取引に応じた、ということは何かしらの関与があったのでしょう)

 

 結果、ヴィックは刑務所で服役。NFLからは無期限出場停止(つまり事実上のNFLからヴィックを排除することですね)が決定。その後、ファルコンズのオーナーからはヴィックの復帰を応援する声明が発表されます。そして選手団からも復帰を応援するような声があがって、NFLとしては復帰を認めることになりました。

 

 

NFLへの復帰の声があがりますが

 しかし、ファルコンズオーナーは、ヴィックをチームに置くことは嫌ったようです。この辺は本音と建前何でしょうかね。当然、アトランタ市民からも無茶苦茶嫌われていたでしょう。そんなヴィックをわが町においておくなら、試合なんて見に行かないぞ!という強い主張があったことと推察します。結局ファルコンズから放出が決定します。

 

 その後フィラデルフィア・イーグルスで契約が決定するわけですが、ここフィラデルフィアでも市民は怒り心頭。「わが町から出て行け!!!」ってなもんで。かなり過激で残酷な広告(残酷なので貼り付けてませんが見たい人はクリックしてください)がなされていたようです。本来QBって街のヒーローなんですが、そのまるで逆になっちゃった。4年在籍したあと、JETS。1年後にスティーラーズに移籍しています。

 

 

また犬飼いたいんだよね宣言

 今現在もヴィックに対する非難は変わっていません。事件のあと、「犬を飼いたい」とヴィックが言ったことが全米でも話題に上がりました。「あんなことをしておいて、また犬を飼うだと!?ふざけるな!」と声が大きくなったそうですが、法律的には3年間犬を飼ってはダメという条件をクリアしています。しかし、こんな犬用のおもちゃが売られていることからも、マイケル・ヴィックは間違いなく全米1位の嫌われアスリートです。

 

 

マイケル・ヴィックのキャリア

 2001年のドラフトで全体1位指名を受ける。ルーキーイヤーではパス成功率が40%台と散々な結果になるものの、持ち前の俊足でランを稼ぐ走れるQBとして注目を浴びる。翌2002年はエースQBの座を獲得。「2002年はヴィックの年」と言われるほど、NFLからも注目をあびる選手として活躍し、チームはプレイオフまで進出した。(この年は同地区のタンパベイがスーパーボウル優勝)。2004年に地区優勝を果たすも、それ以降は低迷が続く。 この後2007年に闘犬問題発覚。2年間のNFL欠場(というか禁固刑)の後、2009年にフィラデルフィア・イーグルスと2年契約を果たす。

 

 イーグルス時代では、契約2年度に選抜メンバーの座を勝ち取り、HCアンディ・リードのお墨付きを得て、のびのびとプレイしていた。当年2010年には10勝をあげ、地区優勝を果たします。当時プロボウルにも選出され、あれほどの事件を起こした当本人にも関わらず、投票2位でプロボウル一軍選手になりました。

 翌2011年にフィラデルフィアと新規契約。しかも6年1億ドルという破格の契約でした。これはトム・ブレイディ、ペイトン・マニングに次ぐ現役三位の契約金額。彼のQBとしての能力の高さが窺い知れるというものでした。当時のフィラデルフィア・イーグルスは彼以外にもプロボウルに選ばれる選手が多数在籍していて、ドリームチーム、いよいよスーパーボウルを制覇できるかと大きな期待を寄せられていたのですが、2011年以降のヴィックは怪我に次ぐ怪我。結局2013年には放出が決定し、フィラデルフィアは大きなデッドキャップを抱えることになってしまいました。

 

 

 その後2014年にJETSと1年間のみ契約。しかしエースQBジーノ・スミスの教育係として控え選手登録。1年間の在籍でここも出ることになり、開幕直前の2015年8月にピッツバーグと契約を結ぶことになりました。フィラデルフィアとの契約は6年110億円でしたが、最終年度のピッツバーグとの契約は単年9,000万円ほど。過去の栄華はどこへやら・・・。

 結局今年の2017年の2月に引退を表明しました。これが彼のフットボールヒストリー。